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vol.11 写真には、社会を変える力がある。

2. 『DAYS JAPAN』で、フォトジャーナリストに発表の場を。

フォトジャーナリズムの危機的状況。

『DAYS JAPAN』2011年7月号。

編集長をされている雑誌『DAYS JAPAN』ですが、もともと講談社から出ていましたよね。

『LIFE』のようなフォトジャーナリズム誌を目指した雑誌で、創刊当初から私も関わったのですが、結局2年足らずで廃刊となります。
私はその後しばらくフリーランスとして仕事を続けるものの、フォトジャーナリズム誌が受け入れられないような状況に半ば絶望していました。
しかし、交流していたフォトジャーナリストたちの「よい仕事をしても、写真を掲載してくれる雑誌がなくなっている」という言葉に、これでは社会問題や戦争の真実が人々に伝わらないと思い、やはり自ら雑誌を作らねばと考えるようになったのです

しかしこれは、かなり困難な挑戦だったのではないですか?

そうですね。周囲からは「日本ではそのような硬派な雑誌は受け入れられない」「すぐに多額の借金を抱えることになる」と、ことごとく反対をされました。
それでもやはり作りたいと、あらためて『DAYS JAPAN』の名を冠し、復刊させました。定期購読者を募集したり、講演会のたびに告知したりしていたところ、少しずつ支援者が増えていき、現在に至っているわけです。

『LIFE』も現在発行されていませんね。このような写真雑誌は世界的にも少なくなってきているのでしょうか?

そうですね。『Der Spiegel』『PARIS MATCH』といった総合雑誌はあっても、今やこのようなフォトジャーナリズム誌は世界的にもほとんどないと思います。
そのせいもあるのでしょう。例えば世界最大のフォトジャーナリズムのフェスティバルであるフランスのペルピニヤン世界報道写真祭などに行った時も、多くのフォトジャーナリストたちから『DAYS JAPAN』に自分の作品を掲載して欲しいとたびたび声をかけられました。
『DAYS JAPAN』では毎年「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」というフォトコンテストを行っているのですが、このコンテストで賞をとった人がその数ヵ月後、同じ作品でピューリッツァー賞をとったというケースが何度かありました。
そのようなこともあり、『DAYS JAPAN』であれば正当に評価してくれるだろうと、海外からも多くの応募があるのです。

南仏ペルピニヤンで開催されたVisa pour l'Image Perpignanに最終審査員として参加。イタリアのエージェントと話す2010年9月。
写真展会場(DAYS写真賞受賞作品を展示)
第7回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞1位「ハイチ 地震の痛手」(ヤン・ダゴ)

第7回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞1位「ハイチ 地震の痛手」(ヤン・ダゴ)

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「1枚の写真が国家を動かすこともある」。

フォトジャーナリズム誌が少なくなっている原因は何でしょう?

雑誌も、スポンサーがつきやすいようなものしか残らなくなってきています。スポンサーとしても、悲惨な状況を撮影した写真の横に、自社の商品の広告を載せたくないと思うでしょう。それに国が絡んだ争いについては、 自国に不都合な写真を載せようものなら、国レベルで圧力をかけてきますし。
しかしこのような状況の中でも定期購読者がつくということは、大きなメディアで報道されていることばかりが現実ではないんだと考えている人が多くいるということです。そのような人たちに向けて、実際に起こっていることをきちんと伝えていきたいし、そのような意識を持っているフォトジャーナリストたちを応援していきたいと考えています。

優れた仕事をする方でも、仕事にならないため辞めてしまうというケースもあるのでしょうか?

多いですね。ある時、アメリカ人フォトジャーナリストが我々を訪ねてきました。1年ほど前、全財産つぎ込んでネパールの写真を撮ったものの、フォトジャーナリズムでは食べていけないと思い、「これが最後」とその写真を我々のコンクールに応募したというんです。そしてやはりダメだったかと荷物をたたんで帰ろうとした時、電話がかかってくる。それはコンテストで大賞になり、賞金も振り込んだという連絡だったんですね。(笑)。その後続けた取材で『The New York Times』と『The Washington Post』に掲載され、それがきっかけで彼はまたフォトジャーナリストとしてやっていけるようになったんです。このようなケースに近いことが、今まで幾度もありました。あきらめかけていたところを、『DAYS JAPAN』が後押しをしたという…。
それも、この賞をニコンさんが協賛ししてくれているおかげでもあるんですが(笑)。

『DAYS JAPAN』の表紙には「1枚の写真が国家を動かすこともある」という言葉がありますね。写真の持つ力について、どのようにお考えですか?

写真には特別な力があると思っています。言葉では伝わらないもの、また映像でも伝わらないものがあるんです。
映像は、見る人が対話しながら鑑賞することが難しいメディアですよね。次々とシーンが変わるため、1カット1カットに考えを巡らすことは困難です。でも写真の場合は、1点の作品に対し時間が許す限り立ち止って見ることができるわけです。あるいは写真集であれば、何度でもすぐに同じページに戻ることが可能です。自分の心との対話というのかな。それができるのは写真ですよね。どれだけ世界が変わろうと、写真は力を持ち続けると思っています。

WEBなどの、新しい発表の場作り。

土門拳賞を受賞した『写真記録 パレスチナ』(全2巻)

写真と同時に、広河さんは『パレスチナ1948・NAKBA』という映画も撮っていらっしゃいますよね。

写真にしかできないこともあるのですが、逆に映像にしかできないこともやはりあります。この作品はイスラエルの誕生と、それに伴うパレスチナ人への迫害の歴史を追ったドキュメンタリーです。イスラエル建国にまつわる1948年の事件を、パレスチナ人は「NAKBA」(ナクバ=大惨事)と呼んでいます。まさに先程話した、パレスチナ人の村が消えたきっかけとなった事件です。ここで起こったことをより鮮明に伝えるために、パレスチナ難民の人たちの生の姿と証言を映像にする必要があったのです。これは、写真撮影と同時に回していたビデオを編集して制作しました。劇場公開版は2時間ほどでしたが、現在では完全版として30巻にまとめたDVDも出しています。
ちなみにこのとき撮った写真の方は、『写真記録 パレスチナ』(全2巻)という写真集にして出版。これで第22回「土門拳賞」を受賞しました。

さらに最近ではWEBも行っていらっしゃいますね。

そうですね。『DAYS INTERNATIONAL』や『DAYS GLOBE』といったサイトを立ち上げています。
もともと『DAYS JAPAN』は、『DAYS』が雑誌名で後ろの国名は入れ替わってもよいと思っていました。しかしこのような出版不況の中、なかなか他国で流通させていくのは困難です。ですがWEBを使えば海外にも発信できるのではと思い、雑誌『DAYS JAPAN』のWEB版であり、英語にも対応した『DAYS INTERNATIONAL』を開設しました。

『DAYS GLOBE』はどのようなサイトですか?

ここには『DAYS JAPAN』に掲載したり賞をとったりした写真を中心に、フォトジャーナリストたちの作品をアーカイブしています。最近私が撮影した福島の写真もあります。
このTOP画面。中央に立体的な地球が浮かんでいますよね。明るいところが現在昼間、暗いところが現在夜の地域です。マウスをドラッグして自分で地球を回し、任意の場所の写真をクリックすると大きく表示されます。
始めて間もないためまだ作品数は多くありませんが、今後はフォトジャーナリストたちが写真を現場からリアルタイムにアップロードし、それを見た人が応援したいフォトジャーナリストにクリックで資金援助できるようなシステムにしていきたいと考えています。

これまで『DAYS JAPAN』を電子化してこなかった理由は何ですか?

写真の著作権の問題をクリアするのが難しかったのです。電子書籍化するにあたっては、当然写真家にもその分の著作権料を払わねばなりませんからね。その費用をどのように集めるかが問題でした。それにWEBの利用者は、ネットのコンテンツは無料という意識が強いですから。そこでこのような、直接写真家たちを応援できるシステムを考えたわけです。
私はこれまでフォトジャーナリストのための教室を開くなど、後進の育成にも注力してきましたが、このサイトも自分の作品を発表する場というより、世界中のフォトジャーナリストたちを支援する場にしたいと思っています。

人間の尊厳にフォーカスを。

亡くなった子どもの墓の前の父子。アフガニスタンのホジャアルウォン難民キャンプで。2001年12月。
イラクのバグダッド郊外にあるアメリア防空壕が米軍に爆撃され、数百人の民間人が死んだ。1991年。

現在の報道写真に、流行や傾向はありますか?

写真にも時代ごとの流行はありますが、ジャーナリズムにおける写真というのは、あくまで写真におさまる人々が主人公です。
私たちフォトジャーナリストは、現実をありのままに写す透明体だと思っています。ただし、目の前の出来事を多くの人に伝えたいという強い意志を持った透明体です。ですから、あれこれとフィルタをかけて着色するのは違うと思うのです。それではその作品の主人公は、撮影者自身の心になってしまうでしょう。
一般的な「写真」という切り口では、そのような作品も良いかもしれません。ですが報道としての写真は、少々下手であってもそこから伝わってくる意味が重ければ良いと思っています。

それでも賞をとっているような写真は、確かに悲惨な状況を映しているものの、反面写真として惹かれる作品も多いですね。

例えば紛争の現場では、多くの人が惨めに殺され、放置される。ただそのような亡骸を、無機物のように撮るのはどうかと思うのです。とくにアジア人の感覚からすると、そのような撮り方に違和感を覚える人は少なくないはず。
単に悲惨な状態として記録するのではなく、殺され打ち捨てられた人々にも、人間として尊厳の光が当たるように撮ることが大切だと思っています。
悲惨な状況にある人を写しても、その人の目の光の捉え方ひとつで表現されるものは変わってきます。
『DAYS JAPAN』に掲載されているような写真を見て、被写体となった人々が美しいと感じるのは、撮影者にそのような意思があるからではないでしょうか。

亡くなった子どもの墓の前の父子。アフガニスタンのホジャアルウォン難民キャンプで。2001年12月。

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イラクのバグダッド郊外にあるアメリア防空壕が米軍に爆撃され、数百人の民間人が死んだ。1991年。

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